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夏の訪問者

北名古屋市立西春中学校 3年
薫田 結衣

構成こうせい人物像じんぶつぞうもストーリーもすべてがく、まるで本格ほんかくミステリの短編たんぺんんでいるようでした。

伏線ふくせんもしっかりとられており、物語ものがたり基本的構造きほんてきこうぞうがしっかりとしています。主人公しゅじんこう心情しんじょうによく言葉ことばくされていて、おにいちゃんがいもうとおもせつない気持きもちもよくつたわりました。

 「久しぶり。」毎年七月の半ばくらいにこいつはやってくる。自ら自分のことを俺の妹だと名乗り、そこから八月の初めまで俺の家で、あたかもずっと住んでいたかのように生活する。そして突然、風のように消える。最初に現れた時の恐怖は今でも覚えている。父と母 は見知らぬ少女を「風夏~。」と呼んだのだ。
 「風夏、人のキオクを消せるから。」ニヤッと笑う少女は気味が悪かった。
 そして今また、例のこいつが現れたわけだ。去年と同じ向日葵柄のワンピースを着て。
 少女が消えるのは毎回八月十日。今年も三週間ほどの我慢なのだと自分に言いきかせる。
 夏が始まった。「おい俺のアイス食っただろ。」「食ってない。」チョコを口のまわりにつけて、満面の笑みの少女。「お兄ちゃーん。」当たり前のように俺をそう呼ぶ少女。一日また一日。去年と変わらない日々が過ぎてゆく。
 「お兄ちゃん、キャッチボールしようよ。」ある日少女はそう言った。俺は頭の奥にズキッとした痛みを覚えた。「やらねぇ
よ。野球は嫌いなんだ。」「一回だけでいいから。ほら風夏ボールもってる。」そう言うと少女はポケットから野球ボールを取り出した。黄ばんでいて、傷だらけで、紐の切れかかったボール。「汚ねぇな。」俺はわざと聞こえるように言った。ずっと野球が好きだった。使い古したボールを見て、そのことを思い出した。「いいんだよ~風夏はこのボールで。」俺も昔、そんなになるまでボールを使っていたっけ。押し入れで埃を被っていたグローブを引っ張り出してきて、庭に向かっ
た。パシ。パシ。久しぶりに聞く音。懐かしい音。「お兄ちゃんさ、野球またやりなよ。」「やらない。」なぜやめたのかは、忘れた。なぜだろう。「やっていいよ。」少女の言葉に苛立った。「やるかよ。」パシ。パシ。音が遠ざかる。しかしその音はいつまでも耳に残っている。
 「お前さ、俺のこと誰かと間違えてんだろ。」セミの声が五月蝿い。今日は八月九日。少女はふるふると首を振った。「違うよ。君は風夏のお兄ちゃん。」「残念だけど違うから。いいかげん気づけよ。」
 次の日、少女はすっと姿を消した。俺はずっとこの日を待っていた。「母さん。」俺は尋ねた。「俺に妹っていた?」怖くてずっと聞けなかった質問。記憶が消えているのは分かってる。分かってるけど。「風夏のこと…覚えてないの?」なんだって⁉「どうしたの。風夏が六歳の夏、八月十日の今日この時間、あの子は車にひかれた。一番泣いてたのはあんたでしょ…。」母は泣き出した。その瞬間、記憶が戻ってきた。風夏は、俺の妹は野球ボールを持って死んでいた。あの頃の俺は、風夏に野球ボールをかたくなに触らせなかったが、新球を買ってもらったため一つだけあげたのだ。「なくしてもやらないから。」「うん、ありがとう。」あいつ。「キャッチボールしようよ。」あのボール。俺は押し入れの前まで走っていった。ふすまを開く。俺は野球をやめた。風夏が死んだのはボールを取りに行ったせいで、必死になってボールを追いかけたのは俺があんなこと言ったせいで。だから俺は野球をやめた。あった。真っ白な新球は、ろくに使われずにしまわれていた。「…あるのに。」俺はしゃがみこんだ。「ボールなんかいっぱいあるのに。」俺は声を押し殺して泣いた。思い出す。人の記憶を消せるのだと自慢気に話す風夏を。あいつは俺の記憶を消していたのか。でも、なんで。それは分かりすぎるほど自分がよく知っていた。俺にまた、何事もなかったかのように接してもらうため。一緒にまた生活するため。自分のことを妹だと認識してもらえなくても、俺ともう一度ケンカをして、笑って、優しくしてもらうため。情けない声が出た。次、来年、また風夏が来たら、俺は絶対に言う。絶対に絶対に「おかえり。」と。