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最幸の仲間達

名古屋市立大高中学校 1年
船橋美羽
事故で被害を受けた人の恨みや悲しみ、加害者を許そうという感情、障害を持った人へのまなざしに含まれる安易な同情や「哀れみ」の厭な感じなど、繊細な心理を描こうという意欲的な試みが成功している作品です。そうした環境に置かれた人だからこそ感じる幸せも丁寧に描かれています。辛い状況にあっても自分を信じ、仲間を信じる気持ちがしっかりと描かれていました。 
(奥山景布子)
 今日一番多かった視線に込められた想いは「哀れみ」だった。
 私に向けられる視線の種類は当たり前だが日によって違う。とある日は好奇心が多いし、とある日は見下した視線が多い。それでも今日みたく哀れみの想いを込められた視線を向けられる事が一番多いと思っている。
 その視線を向けられる理由は恐らく私の足だろう。私の片足は中学一年生の夏休みに車にひかれてなくなってしまっているのだ。
 その運転手の事を私は恨もうと思っていた。だけど、その運転手が急いでいた理由を知ったら恨めなかった。
 仕事中に娘の入院先の病院から、容体が悪化したという連絡が入ったらしい。自分の母親のようにもう二度と会えない存在になってしまうかもしれない。前回と同じ過ちは犯したくない。という焦りを感じながら、法定速度は守りつつ運転していたらしい。
 だけどもその日はあいにくのゲリラ豪雨に見舞われた。気を付けていても横断歩道手前の白線で滑って、私をひいていまったらしい。
 事故の衝撃で気を失っていたのが関係しているのか、その事故の後から私は人の視線に込められた想いが解るようになってしま
った。
 その時私が一番怖いと感じたのは、せっかく仲良くなった友達からの視線の意味も解ってしまうという事だ。そして、学校に行くという事はクラスメイト以外の子や他の学年の人からの視線も浴びなければならないという事を私は全校出校日の前日に気が付いた。
 家族の視線ならば家族が私の事を考えて、気遣ってくれているから何とも思わないし、家族の気遣いのお陰で、私も多少の人の視線なら気にならない程度にはなった。
 だけど、それすらも無意味と言えるような大人数の目線を浴びなければならない学校に、私はどうしても行きたかった。
 他の学年の人には校舎が違うから会わないし、私の教室は土間から一番近い所に位置しているから他のクラスの人の目に触れる事はほとんどないとだろうし、何より普段からズボンをはいているから気にして見ないと違和感には気付かないだろう。というのは建前で本当は、私がみんなに会いたいからだ。
 私のクラスは綺麗ごと抜きでいいクラスだ。触れてほしくない事は触れてこないし、逆に触れてほしい事はとことん触れてきてくれる。そして何より、一人一人のアンテナが高く、周りをしっかりと見ているが、そんな堅苦しさを感じさせない良いクラスなのだ。
 そんなクラスだからこそ私は、片足がみんなと違っても、目線に込められた想いが解るようになっても、仲間に会いたかった。
 学校までは家族が気を遣って送ってくれたが教室へ入ると、観察眼の鋭いクラスメイト達は私の歩き方が少し変だという事にすぐに気が付いた。心配するような眼差しは向けられたが、誰も見下したような目線は向けてこなかった。その後も、特に仲の良いゆりが周りの子に気付かれないようにそっとメモ帳に
「大丈夫?」と書いて心配してくれた。
 私はその優しさに思わず泣きそうにな
った。そして何よりクラスメイトの気付かないふりをして、いつも通りに接してくれる優しさに、再び泣きそうになった。
 きっとクラスメイトはいつも私が怪我などの多少の事ならば笑い事にして話していたから、そうしないという事は触れられたくないのだろうと察して、私から話すのを待っていてくれているという想いが、暖かく優しさにあふれた視線からしっかりと伝わってきた。
 きっとこの様子を私のように視線の中に含まれる気持ちが解る人が見たら。いいや、きっとどんな人が見てもこのクラスにあふれる暖かい想いに心の底まで温かくなると思う。
 私は、この最高なクラスの雰囲気から家族とクラスメイトの零れそうなほどの温かみを感じて自然と想いが言葉になって零れた。
 『ありがとう。』