出会ったのは、私が四歳のとき。家の近くにある公園で、私は、ふと、そびえ立つ桜の木の下に座りこむ少年の姿をみとめた。その桜は樹齢五十年を過ぎたソメイヨシノで、枝先にはたくさんの花。少年は、なぜか黒地に桃色の花の刺繍が施された着物姿で、まるで妖精みたい、と思わず見つめる。そのとき、少年の桜色の瞳と、ふいに、目が合う。にこりと笑いかけると、少年は目を見開いた。私は少年に近づいて、話しかける。
「あなた、だーれ?」
「え、君、俺が見えるの?」
少年は私を見つめ、突然ニヤッと笑った。
「へぇ…。俺はこの桜の精霊。君は?」
しゃがんで私と目線を合わせた。精霊と名乗る少年に戸惑いながらも口を開く。
「わたしは、美野ゆずき。」
「ユズキ、か。じゃ、ユズだね。よろしく。」
促されて、私は少年の隣に腰を下ろした。
十一年が経った今、十五歳の私は、毎日のように公園へと通っていた。
「しだれくん!」
私が呼ぶと、桜の枝から舞い降りてくる少年。
「やあ、ユズ。勉強は捗ってる?」
しだれ、という名前は私が考えたもの。名前がないという彼に、私が好きな枝垂桜の名前をつけたのだ。初めは、女の子みたいだと文句を言われた。桜の側を離れられないしだれくんに、私は色々な話をする。珍しそうに話を聞いてくれるから、私も話していて楽しい。
いつからか、この桜の下で彼とお喋りをすることが、私の日課になっていた。
季節はどんどん移り変わり、冬が来る。
「ゆずき、知ってた?あの公園の桜、伐採されるらしいわよ。老木は倒れる危険があるからですって。」
母の何気ない言葉に、頭の中が真っ白になった。桜の木が伐採される?そんなことをしたら、しだれくんはどうなるの?冷や汗が首筋を伝う。思わず、駆け出していた。
「しだれくん‼」
息を切らしながら彼の名を呼ぶ。いつも通りに降りてきたしだれくんは、私の様子を見て慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたの?何かあった?」
「しだれくん…この桜がなくなるって、本当なの?」
私が聞くと、ピタリと彼の動きが止まる。
「…あー、聞いたんだ。この前も業者が来てたし、そうなんだろうね。」
その、他人事のような口調に憤って、叫ぶ。
「なんでそんな平気みたいな顔してるのよ!しだれくんはこの桜の精霊なんでしょ!この木がなくなったら…。」
「俺は消えるよ。」
やけに澄んだ声が、キンと冷えた空気を震わせた。私を見つめる桜色の瞳。言葉が詰まる。
「仕方ないよ。ソメイヨシノはただでさえ、人がいないと生きていけないんだ。むしろ、こんなに長生きさせてもらえて感謝してる。」
しだれくんは、淡々と語っている。けど。
「そんな、こと、言わないで…嫌だよ…。」
震える声を絞り出して、彼の着物に縋りつく。
こんなことしたって意味ないのに。それでも、止まらなくて、苦しくて。
「…ユズ。」
顔を上げると、困ったように、そして少し嬉しそうに、眉を下げて微笑むしだれくんの姿。
「俺、本当に、ユズに会えてよかった。確かに、この木はもうすぐなくなるけど、絶対、また会える。だからさ、笑ってよ。」
私が頷いて微笑むと、彼は幸せそうに笑う。
「それでね、お願いがあるんだけど―」
差し出されたのは、小さな桜の枝。瞬きをすると、もうそこにしだれくんは居なかった。
あの桜はもうないけれど、私は変わらず公園に通う。彼にもらった枝が接ぎ木された若木へと続く道の上には、青空が広がっていた。
「…ただいま、ユズ。」
陽の光があたたかい、ある、春の日のこと。